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zoom RSS 習志野はソーセージの製造発祥の地

<<   作成日時 : 2017/06/04 08:15   >>

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たまに、八千代市から幕張方面にサイクリングをしますが、途中習志野市実籾を通ります。その実籾には・・・

第一次世界大戦時、 日本は、日英同盟によりイギリス・フランス・ロシアなどの連合国側に立って参戦し、日本の近代化に大きな影響を与えていたドイツと戦うことになり、中国・山東省のドイツ租借地・青島(ちんたお)が、日独戦争の焦点となったのでした。
 同年11月、日本軍の猛攻の前に青島は陥落し、終戦後にワルデック総督以下4,715名のドイツ将兵が捕虜となり、彼らは日本に送られ、そのうち約1,000名が習志野の捕虜収容所に収容されました。

当時の習志野俘虜収容所長は、西郷寅太郎(さいごうとらたろう)大佐でした。彼は西郷隆盛の嫡子であり、父が反逆者として敗死した後、明治天皇の思召しでドイツの士官学校に留学していた経験を持ち、ドイツに深い理解を持っていました。
当時の捕虜収容所
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大正6年、栄養の向上に資する食品としてソーセージに注目していた農商務省は習志野収容所でドイツ兵がソーセージを製造している事を知り、早速習志野収容所を訪問したそうです。
そうして、カール・ヤーンら5名のソーセージ職人は、千葉市に新設された農商務省畜産試験場の飯田技師の求めに応じてソーセージ作りの秘伝を公開し、この技術は農商務省の講習会を通じて、日本全国の食肉加工業者に伝わっていきました。こうして習志野は、ソーセージ製造発祥の地となったのです。ヤーンは最初、伝統の秘伝を公開してしまうことにためらいを示しましたが、西郷所長の熱心な説得に折れてくれたものだと伝えられています。
大久保にある紅谷商店は、ドイツ兵にハム・ソーセージやマヨネーズ、石鹸の製法を教わったそうです。
捕虜収容所の碑
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習志野市東習志野4丁目4番地
(東習志野四丁目児童遊園内)
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